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カタカムナ応用上の注意 [カタカムナ最前線]

 現代日本においてカタカムナの応用を考えるあたって注意すべき点は、明治維新前後の外来語、とりわけ欧米語から明治以降に翻訳された日本語と、カタカムナ由来の日本語の分別を要するということである。その意味からいって明治に入って最初に編纂された国語辞典・言海は非常に参考になる。
 明治維新後西洋の学問を積極的に取り入れるにあたり、それまでの日本語にない概念や学術用語がたくさん造語されてきた。中でも現在使われている自然という概念は人類と対峙する存在をさし、本来自然発生した人類の存在と矛盾することに最大の注意を要する。
 

カタカムナにおいては、マというひとことが、あらゆる自然現象の総体として、マクロ・ミクロ両方の意味で使われる。
 マは天然自然のありとあらゆる現象事象、つまりは時空間のあらゆる次元をさし、マカタマとして相似象的に球体をなす。あらゆる電磁波、すなわち波動成分もトキトコロノハシマリからの膨張球・マリとして認識されるヒビキである。そしてなにをおいても一番問題なのが人間である。
 

カタカムナいうところヒトとは現代日本語でいうところの人間ではない。人間はもともと仏教用語の、じんかん、すなわちヒトとヒトの合間、転じて社会の意味であったが、明治以降ヒトの意味で使われるようになったもので、大槻文彦による言海には『過ちてヒト』との義が載せられている。
 

 我々の脳・アタマは感受性・ミキキによって得られた天然自然情報・ヒビキの処理と、言語・コトノハによって構築された観念・イシキの両方を同時に処理している。言語入力以外の感受性によって得られた情報・ヒビキは、観念に関係なく細胞単位で処理・ミシロウケされるが、言語は脳細胞に特化されたオペレーションシステムとして機能し、交感神経・副交感神経の双方に影響を及ぼす。このことは自然界における人間社会の侵略的破壊活動と相似象なのであって、一個人の観念による内的浸食と考えるべき現象である。相似象学会云うところの、言語の自然サ量が問われる最大の課題だといえる。
 その意味合いからして、カタカムナによる、現代脳へのクリーンインストールがもたらす、自然サ量の回復が、人類と地球自然の完全和解の鍵となるに違いないと思える。


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